着付けの時間を楽しむ

着物

「自分で着物を着られるの、すごいですね」

そう言っていただくことがあります。

実際は、全然すごくありません。

やはり洋服よりは手間はかかりますが、そもそも難しい作業もありません

「着付けって大変そう」「難しそう」

そう思っている方へ、そのハードルが少しでも下がるといいなと思い、今日は着付けの時間に対する考え方ついて書いてみたいと思います。

着付けは一種の瞑想?

着付けにおいて肝となるのは、衿元の形づくりや、裾合わせではないでしょうか。

衿元を整えて紐で固定する。裾を合わせて紐で固定する。

集中しないと綺麗に形を作ることができません。

大まかな形ができたら、次は鏡を見ながら全身をチェックし、気になる部分を整えていきます。

このときも細部への集中が必要です。

このように、着付け中は、意外と「着付け」に集中している時間が多いのです。

満足のいく気姿が完成した時は、達成感があり気分もすっきりしています。

何も考えずに着付け1点に集中をする。

これは一種の瞑想と言ってもいいのではないでしょうか。

手間をかける=自分をいたわる

着付けは丁寧に

着物は洋服に比べて、着終わるまでに時間がかかってしまいます。

着付けには工程が多いので、仕方がありません。

ですが、その工程をこなしていく過程が、同時に自分を大切に扱う時間にもなると思うのです。

例えば着物を羽織るとき、襦袢の衿元が崩れないように、そっと肩に掛けますよね。

袖に腕を通すときは、すっとした動作で腕を通すはずです。

しわやたるみを伸ばすときも、着崩れしないようそっと整えると思います。

そうです、着付けをするとき、必然的に動作一つ一つを丁寧にすることになるのです。

ではそれがどうして自分を大切に扱う時間になると言えるのでしょうか。

お客様と同じように、自分を扱う

私が人への着付けを習っていた時、着付け師側(自分自身)の所作にも気を付けるよう指導されていました。

特に口酸っぱく言われていたのが、手の動きを丁寧に、ということ。

着付けの最中、少しでも雑な触り方をすると即注意されたものです。

これはすべてお客様を大切に思うからこそのこと。

つまり、同じように丁寧に自分に着付けをすることは、自分自身を大切に扱うことにつながると思うのです。

ちなみに以前聞いた話ですが、例えばコップなど、相手の前に置いてあるモノを丁寧に扱うと、相手の人は、自分自身も丁寧に扱われているように感じるそうです。

完ぺきな着付けを目指す必要はない

8割の仕上がりで満足する

着物雑誌やテレビで見かけるモデルさんの着物姿は、完ぺきで美しいお着付けですよね。

ですが、私たちは誰かにお見せするために着るわけではありません。

日常生活の中で着るので、それなりに動きます。

また、お直ししてくれる人が側に控えているわけでもありませんよね。

動く以上必ず皺はできてしまいますので、神経質にならなくて大丈夫です。

そして着付けの際は、自分の理想の気姿の7~8割くらいが達成できていればよしとしましょう。

制限時間を設けてみる

とはいえ、やっぱり少しでも綺麗に、理想通りの気姿にしたいというお気持ちは、とってもわかります。

でも、その気持ちが逆に自分の首を絞めてしまうことになってしまうのです・・・。

一度気になる箇所が出てきたら、もう大変です。

「ここも、ここも」と気になる箇所が次々と出てきます。

「こっちが綺麗にできたと思ったら、今度はこっちが気になる」を延々と繰り返してしまいます。

大げさではなく、いくら時間があっても足りません。(実体験済みです。)

先に制限時間を設定して、ある程度妥協することも、長く着物と付き合っていくには大切なことだと思います。

ちなみに、自装を教えてくれた着付けの先生も、「着付けがすべて完璧だったことはないわよ~!」とおっしゃっていました。

着付けを、特別な時間として楽しみましょう

着付けの時間は、着物を着る人だけが知っている特別な時間です。

時に着付けがうまくいかず、ストレスを感じることも正直あります。

ですが、日常生活の中で、自分のために少しの時間と手間をかけてみるものいいのではないでしょうか。

番外編

手早く着付けをするかっこよさ

どの映画だったか、はっきりとは覚えていないのですが、手早く着物を着付けているシーンがありました。

鏡の前で、慣れた手つきで、さささっと着る姿が本当にかっこよかったのです。

前述の「着付けの時間が特別な時間」とは逆の話になってしまいますが、「着付けの時間が日常の一部」だからこそ出てくるかっこよさも素敵だな、としみじみと感じました。

きっちり感のないかっこよさ

私が(カジュアルに)通っている日舞の先生は、着付けの先生のようにきっちり着ておられるわけではありません。

それが逆に、着慣れている感じがしてとてもかっこよく感じるのです。

私の着付けを、「綺麗に着るぞという気合の入った着付け」だとすると、先生のお着付けは、「力みのない軽やかな着付け」といった感じでしょうか。

まさに、パパっと着てきました、という雰囲気です。

(日舞の先生という背景を知っているから感じることなのかもしれませんが・・・)

きちんとした着付けも素敵だし、緩くこなれ感のある着付けも素敵。

着物って本当に正解がないし、奥が深いなぁと思います。

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